Friday, April 29, 2011

Morning bird


Gold shinning through hair

Random flash backs

Random conversations

Curious awkwardness

Friendly closeness

Heart pumping failure

Sky high success

Flesh soaking in salt and pepper

Evening bird sitting in the corner

Emotionless sunrise

Tasteful sense of smile

Tuesday, February 15, 2011

おかあさんへ

お母さん

あなたの事を尊い人だと思っていました。

こんなにもあなたの事を愛する心の余裕ができたにも拘らずあなたはもうこの世にはいない。

会社の帰り道、毎日、あなたの事を思いながら涙しています。

あなたはこの事を知っていますか?

あなたにしてもらいたかった贅沢、あなたに知ってもらいたかった私の実績そして人生における幸せ。

あなたはそれを知らずに、そして経験せずに召されて行ってしまった。

お母さんは一人で逝ってしまった。

せめて最後に話だけでもできたなら私は幸せだった。

私の為にではなく、もしお母さんが一人で淋しい想いをしながら亡くなったのではないかという

私の不安、そして心の痛みなのです。

お母さん、会いたいよ。

会いたい。

一人は淋しいよ。

幸せにしてあげたかった。

私は母亡き子になってしまいました。

どうしてくれるんですか?

お母さんがいなくて、私はこれからどうすればいいんですか?

「本当は私の事を大事にしてくれなかったから冗談で死ぬ振りをしたんだよ。」

って言って私の前に現れてくれるんじゃないかと思っているのに

あなたは一行に名乗る出て来てくれない。

夢にも出て来てくれない。

会いたいのに。

おかあさん

おかあさん

おかあさん

なんで今頃になって、なんで今いないの?

淋しいよ。

Saturday, December 25, 2010

Moving On

With a low commentment life style, you end up with many unresoveled feelings you leave behind.
How does everybody else do it? How do people manage to focus on one thing and not get distracted?
I am not speaking of human relationships.
I am speaking of events and possibilities (dreams!) you can fulfill!
How are we all going to be in the future?
How are you supposed to determine what is good for you?
I don't think the fairy tails are a good measurement of what happiness is to me.
I don't even know if I know what happiness is to me either.
I wish I was more commited to my surroundings and I knew constantly looking for something better is not going to make my life any better.
I am not sure what is going to make me happy.
I guess I just have to keep going and going till I have my last breath to say that I had a great life.

Last Day Behind the BAR

Thursday, November 18, 2010

母が亡くなりました

母が亡くなって一ヶ月が過ぎました。

やっと言葉にする気になりました。

ただ悲しくて、悲しくて涙も出せませんでした。

「母親の死」というには如何に認めにくい事かを実感しました。

アメリカにいたため、急な母の死に立ち会えなかった私には未だに実感が湧きません。

母とは父との離婚をきっかけに仲違いをするようになりました。

「死にたい、自殺する。」と毎日のように唸り、私に八つ当たりをしてくる母に対して嫌悪感を抱くようになりました。

ただ、心が弱っている母を守りたい、助けたい気持ちでいっぱいだった私は多感な時期だったにも関わらず、何年もそういった状況を我慢していました。

父に、母を置いて一緒に住まないかと聞かれた時は楽な逃げ道だったと思ったのですが、やはり母を守りたい気持ちで一杯でした。

しかし、20歳くらいになると我慢が聞かず、何故私だけこんな心の負担を背負わなければいけないんだろうと、守りたい気持ちが怒りに変わってしまいました。

誰でも母の暖かい背中を見たいと思うはずです。多感な時期なら尚更です。

私はアメリカに逃げました。現実逃避と言っても過言ではありません。

何年かすると、私の心も晴れ、母と仲直りをする事になりました。

たまに電話が来ると話したりしましたが、大学で忙しくてあまり話せませんでした。

自分の事でいっぱいでした。

卒業を間際に母は亡くなりました。

アメリカに永住すると思い込んでいた母、日本での就職先が決まったとの報告をする事もできずに亡くなってしまいました。

絶望感に打ち拉がれました。

7年間のアメリカ生活を経て、日本への帰国を誰よりも喜んでくれたのであろう人は母だったのだから。

私が幼い頃から、うちの家族は裕福とは言えない生活をしていました。

就職をして母に少しでも贅沢をしてもらいたかったです。

買ってあげたいものがたくさんありました。

母の愛情を受け止め、そして返したかったです。

せめて今年の夏に札幌に帰った時にしてあげられた事は、海に連れて行く事ができたことです。

母と二人で出かけました。初めてお弁当を作ってあげました。

硝子館に行く事もできました。二人でソフトクリームを半分ずつ分け合いながら食べました。

アメリカに戻る時に「またね。お母さん愛してるよ。じゃ、いってきまーす。」と言葉を交わしたのが最後です。

母が言ってました。「あいちゃん、将来親孝行なんてしなくていいからね。あいちゃんの一生分の親孝行はあなたが3歳の時に終わってるから。あいちゃんの笑顔とってーもかわいかったのよ。昔は色々と迷惑をかけてごめんね。」

今はこの言葉が心に沁みて痛いです。

以下は母の告別式に、大叔父さんに読んでもらった手紙です。

「お母さんへ

愛してくれてありがとう。私の事をずっと守っていてくれてありがとう。こんな急に天国にお母さんが召されるなんて思ってもいませんでした。アメリカに引っ越してからはあまり札幌を訪れていなかったけど、ここ一年で二度も帰る事ができて、お母さんと一緒に過ごせてとても嬉しかった。本当に良かった。ここ何年かうまくいってなかったよね?お母さんの事許せないって何度も言ったよね?お母さんが苦しい想いをしていたのに思う存分に愛情を示せなくてごめんなさい。本当にごめん。でも去年くらいから仲直りができて良かったです。お正月も夏休みもお母さんと一緒に過ごせて嬉しかった。以前よりも幸せそうな顔をしていてくれて私も嬉しかった。夏に小樽一緒に行ったよね?二人でどこか行くなんて十年振りだったね。二人で森田神父様へのお土産選んだよね?気に入ってくれてるといいね。お母さんも楽しそうで心から私も嬉しかった。せめて最後に良い思い出作れて良かったね。お母さんが体調を悪くしてからずっとお母さんの事考えてた。休憩が30分しかなかったのに、仕事の合間に買ってきてくれたオヤツとか、私の好きそうなものをお土産に買って来てくれたり。私が近所の子供にいじめられてた時も真っ先に守ってくれたり。何があっても私の事を優先してくれてたお母さんが私は大好きです。世界一愛してます。本当は大学卒業して、就職したらお母さんの事を旅行に連れて行ってあげたかった。おかあさんがずっと欲しがっていたバック買ってあげたかった。今年の夏帰った時バックを渡せなくて本当に後悔した。何度も買ってきてって言ってくれたのに。お母さんにまた会えると思ってた。いつか元気になってくれると信じてた。また一緒に海を見に行けると思ってた。でももう会えないんだよね。淋しい思いをさせてごめん。でもこれからは心で繋がって行こうね。これから卒業式だったり、結婚式だったり、そういった行事にはお母さんの為に特等席を用意してるからね。ただただ、お母さんには、世界一愛してくれている娘がいる事を忘れないで欲しいです。あなたの幸せと幸福を心から祈っています。天国では、元気な心と体で元気に過ごしててね。電話で話す度にお母さん言ってたよね?恥ずかしいから照れてあまりいってあげられなかったけど。「あいちゃん、いつもの愛してるは?」「はいはい、わかったよ。お母さん愛してるよ、アイラブユー。」お母さん。元気でね。

あなたの娘の愛子より」

Thursday, November 4, 2010

何気なく母に電話を掛けてみた。

亡くなって今日で25日もたっているのになぜか繋がった。

繋がったとは言ってもただ電話が鳴りっぱなしなだけである。

今は誰が電話代を払っているのだろうなんて考えている私は異常なのだろうか。

やはり母親の死に目に会えなかった私の現実味の無さから来るものなのか。

なんなのか。

悲しさと寂しさへの半比例の関係なのかは私にはわからない。

Tuesday, November 2, 2010

なんてこった

いきなりじゃないですか

「そりゃないよ」と想いながら「しょうがないな」と諦め、心でため息をついた

諦めるという事を私はいつの間にするようになったのかは定かではない

なんでだろう

「しょうがない」が口癖になったのはいつの頃だろうか

はたまた定かではない

肩をなで下ろし、心でため息をつくようになったのはいつの頃からなのだろうか

諦める事も大事なんて誰が言い出したのか

何を基準に言っているのだろうか

人生ヤマ有りタニ有りなんて

馬鹿げてる

人生という波に揉まれ何故私たちは生きているのだろうか